私が小さかった頃・・・

今なら、こんな事はめったにないと思うのですが、私の母は私をピアノ弾きにするために相当厳しいことをしてきました。

練習が嫌だった時に「怒らないからピアノを辞めたいか正直に言いなさい!」と言うので「やめたい!」と言ったら、ピアノの椅子ごと蹴飛ばされて、6〜7メートル飛ばされた事などはしょっちゅう。小学生の夏休みや、冬休みには、1日1時間半の練習ノルマを課せられ、ノルマの滞納は許されなず、滞納は必ずサラ金取り立てよろしく、1日1.5時間+1.5時間=3時間の練習ノルマが課せられる。そうやって貯まったノルマ(元金?)を支払うために、1日6〜7時間練習した事もありました。おかげで、この間買ったヤマハC7ピアノのローンは、トラウマのおかげで、すぐに一括で返してしまいました。

一番強烈な思い出は、レッスンテープです。レッスンの時に録音したテープを次の日にピアノの前で聞いて「反省」するのですが、これを聞くのが非常に眠い。居眠りをしながら聞いていると、母が「起きろ!」と言うのですが、いっこうに起きない。しびれをきらした母は、台所から、調理している小さく切ったニンジンを頭めがけて投げるのであります。頭にあたってしばらくは目が覚めるのですが、又、睡魔は襲ってくる。すると今度は、先ほどよりも大粒のじゃがいもが飛んでくる。何度も何度もじゃがいも、ニンジン、たまねぎ、・・・と粒も大粒になり、やがて、丸々じゃがいも一個がそのまま飛んでくる。

最後に母も投げる物が無くなったのか「全部洗ってもってきなさい!」となる。ちなみに夕食の献立は鍋物より、カレーの方が遥かに痛い。

何も今の子供にこういう指導をしろとはもちろん言いません。ただ、私の母は私がピアノ弾きに向いているのではないかという先見の明の元、ただピアノだけに集中させたようです。不思議な事に母からは「ピアノを練習しろ!」とはいわれたものの、「勉強しろ!」とはついぞ言われなせんでした。

今子供達は、習い事を掛け持ちで6〜7個習っていると聞きます。確かに子供に何が向いているかを見つけるために、またいろいろな経験をするために、さまざまな習い事をする事は大事な事と思います。しかしそのおかげで、今、生徒達のピアノの練習時間が平均的に減っています。

それだけではありません。昔は落ちこぼれか、秀才しか行かなかった塾は今、ほぼ中学生全員が毎日行っています。帰りの時間はpm10:00過ぎです。おかげで、中学生は必ずと言って良いほど、全員、慢性的な練習不足です。

果して手に職をつける事がいいのか?それとも学歴をつけて一流企業に入るのが良いのか?

どちらが良いかはそれぞれの考えが有るとは思いますが、一流企業が社員を平気でリストラする昨今、才能が有るならいっその事好きな事をしてしまっても良いかなとは思ったりもします。

ルーマニアやソビエトで、すぐれた体操選手が多かったのは、いち早く、体操に向いている選手を国が強化指導してきたからに過ぎません。同じように、旧ソビエトから、優秀なピアニストが多く出てくるのも同じ処方です。もっとも、単なる体操バカ、及び音楽バカを作っていると言われればそれまでですが・・・私もピアノバカなので、えらそうなことは何も言えないのです。

ただ、今の私があるのは「ピアノバカ」を目指した母のおかげなのです。


私が小さかった頃part2・・・思春期の頃

今となっては私にピアノの専門家を目指させたことに関しては、親には大変感謝はしている。

何たって男にそういう道を目指させるということは、普通ではあり得ないだろう。

しかし、その目指させ方に関しては大いに疑問もあった。

まず私の母はピアノに関しては相当厳しかった。

私は小学生の頃は一般の男の子と同じく、野球部に入っていた。当時、たしかピアノのレッスンが土曜日だったので、土曜日の野球の練習にはあまり出られなかったのを覚えている。

私としてはレギュラーになれなくとも、野球の練習は楽しかったので、毎回出たかったのだが、いつも出られなく、そのうちに「指に悪いから」という理由だか「いつまでたってもレギュラーになれないから」という、こじつけ理由(?)だかなんだか分からないが、辞めさせられたのだった。

その頃、橋本にスイミングスクールができたので、友人が「一緒に入会しないか?」と誘ったので母親に入りたいと言って許可を取ったのだ。スイミングならば指に影響はないだろうと。

しかしこれがどういうわけか、入会の日になって「だめ!」と言われてしまい、友人にこれこれしかじかと言った事を覚えている。

友人は私と一緒に入るのを楽しみにしていたので大変申し訳なかったなあと思ったが、いつものごとく「おまえんちのおかあは、いつも間際になるとこうだな」と言われたのを覚えている。

結局、ピアノバカを育てるにはそういう教育方針が一番かもしれないが、そうこうしているうちに、私も中学に入って一般に言われる反抗期になった。

こうなるともう親の言いなりになる気持ちはない。

おまけにその頃、体がうずく年頃だったので、迷いなく部活に関しては当時得意であった陸上部の長距離を選んだのであった。

「頭を使う文化系部活ならまだしも頭を使わないアホでもできる陸上部に入るとは何事だ!」と言われたが、反抗期の私には何一つ忠告は耳に入らない。

まあそれはどうでもいいとして、ピアノに関しては自ら先生のところに出向き「ピアノを辞めたい」と言って辞めさせてもらったのだった。

幸いなことに先生は怒らずに「いつでも戻りたくなったらいらっしゃい」

と言ってくださったことは感謝しなければならない。おそらく先生はまた戻ってくることを分かっていたのだろう。

しかし、私自身は絶対に戻ってやるものか!と思ったものだった。

大変だったのは母親の方である。

いままで時間、労力、金を注ぎ込んだものが全て無駄になることはなんとしても避けたかったのか?最初はいろいろと私を説得はしてはいたものの、ついに説得が無理と分かった時点でアメリカ式強行手段に討って出た。

すなわち、「兵糧攻め」である。

つまり朝と夜の飯抜きである。

昼の弁当は自分で冷蔵庫にある残り物をつめて持っていく。

しかし、家に帰ると食料がないのだ。

何たって夕飯になって食卓に行っても自分の分だけないのだ。

この時ほど、ひもじい思いをした事はなかった。

もう今となっては昔のことはどうでもいいと思っているのだが、この時ほど親を「鬼」と思ったことはない。

さて私が音大を卒業する頃になると、さて卒業後はどうしたらいいか?で悩んだものだった。

一般に音大卒には音楽関係の仕事は無いに等しい。

せいぜい教員か(それも私の頃はすでに倍率が既に50倍という感じだった)アルバイト扱いのヤマハ講師程度である。

全く音楽関係でない中小企業ならば、仕事はあるのだが、やはり音大を卒業するとなんとか音楽関係の仕事に就きたいと思うのだが、なかなかうまくいかない。

私も悩んでいたが、その頃母親は何故か「ほら!もう家の前の(株)●ハラで採用面接が始まったよ!受けにいきなさい!」とやかましく言っていたのを覚えている。

(株)●ハラとは、当教室の前にあるレンズ工場のことである。

まあ要するに、家の目の前で通勤の必要がないし、給料もまあまあだろうし、厚生年金もあるし、労災もあるし・・・ということでそのレンズ工場への就職を勧めるのだ。

もう存分の音楽の勉強はしただろう。しかしプロのピアニストになれなかったんだからいつまでも夢を見ていないで、現実に戻りなさい、ということなのだろう。

この幼児期からの指導方針と、近くの工場に勤めなさいと言う内容のギャップ。

これはさすがに親が何を考えているのか理解できなかった。

そして私は親の反対を押し切って、ヤマハ講師の仕事をしたのだが、やはり「早くそんなバイトは辞めなさい!」の連呼。

バイトじゃないっつうの!・・・しかし税法上は確かにバイトです。

多分、大学の非常勤講師になっても同じ事をいっただろうな。

おまけに自分が教室を開くと聞くと、もうあきれかえってどこかに書いたメッセージのように「一人も集まんないんじゃないの?」

それがどういうわけか教室の運営がうまく行ったとたんに何故か今度は応援に回っている。

まあとにかく今は味方になってもらっているのでいいんですが、私の親ははたして、まともなのか?それとも変なのか?

それはどうでもいいとして、以前コンピュータプログラマーの兄が仕事がきついからという事で会社を辞めて転職をしようとした時にやはり母親は「(株)●ハラに勤めなさい!」

やっぱり変なようだ。