シリーズ〜ピアノとは宗教であり、ドラッグである〜

NO IMAGE

シリーズ〜ピアノとは宗教であり、ドラッグである〜

ちょっとこの議題、かなりヤバくてタブー的な内容になりそうなので躊躇(ちゅうちょ)してしまいそうなのですが(汗)。

しかし、もはや、世間ではヤバくてタブーな存在である村田ピアノ音楽院なので、この内容にあえて踏み込んでも良いでしょう。

あえてはっきり言いますと、やはりピアノは宗教でもあり、ドラッグでもあると思います。

もちろん、宗教も、ドラッグも世間一般で思われているような危険な産物という考えはけっして正しくはない。

なんたって世界最大の宗教派はキリスト教だし、ドラッグだって風邪薬や私が時として愛用するボラギノールだってりっぱなドラッグなのです。

もちろん、地下鉄なんとか事件を起こした教団や(これ、ニュース中継を見ていた人ってもう若い人にはいないよね、もう教科書に書いてあったよど号乗っ取り事件並みの古ニュースです)ノリピーが(この人を知っている人ももう若くはないよね、私が河合奈保子の大ファンだったなんて言ったらどれだけ古代人かということがばれてしまう)捕まった時にお使いになられたドラッグまで、本当に宗教とドラッグの定義、および効用は幅が広い。

おそらくこの二つに共通して言える事は、これに頼っている間はいろいろと心や体が消耗している時でも穏やかな気分や、現実逃避でいられる事ということであろうか?

人間は思っている以上に精神的に弱い。この二つに頼っている間はあまり精神的に滅入る事もなく、悩みもなく(?)落ち着いて生活できるということであろうか?

ということは宗教もドラッグもかなり似ているもの同士なのかもしれない。

本当はこの二つ、なしで生きていければそれにこしたことはないのかもしれない。

しかしある意味、あまりにも道徳心が失われ、秩序や風紀がなくなりつつある日本では、宗教はいずれ必要不可欠になって学校でも必修科目になる時代が来るかもしれない。

道徳心でもあり、また心のよりどころ、これさえしていればあまり心が乱されなく平静でいられるもの、そして何より心が満たされ、幸福な気持ちでいられる物・・・

そう!、それこそがピアノである(!?)

おそらくどのピアノ学習者もある程度ハマってしまった人なら理解できるだろう・・・ピアノは宗教であり、ドラッグであるという事を!

まず、ピアノはどこまでいっても宗教そのものである。

なぜなら、演奏者はどこまでも楽譜に忠実でなければならない。そして、作曲家の意図をそのまま汲み取り、それを演奏に反映しなければならない。

いってれば作曲家という教祖!のいいなりに教えを受けなければならない。

そこには作曲家(教祖)への反抗心、(楽譜の)改ざんなどは許されない!

そして演奏者は作曲家の研究、分析をしなければならない。

そして何度も何度も音楽にとっては聖書とも言える楽譜を隅々まで見るのだ!

その証拠に、ピアノ界ではバッハの平均律クラビーア集を旧約聖書、ベートーベンソナタ集を新約聖書と言っているではないか!・・・もっとも私の様にこの2冊が嫌いな風変わりな異端児もいる。そういう人間はこのクラシック界では今や追放されつつある身分ではあるのだが・・・

そして、このピアノという宗教に向かっている間は・・・心穏やかに充実した1時間をあっという間に過ごしてしまうのだ!(おお!練習しない子供を抱えている母親達にとってこれほどのすばらしい言葉はないだろう。おお神よ!)

そしてこれがもっとマニアックなレベルのピアノ学習者になればなるほど、2〜3時間があっという間にすぎる事は珍しくなく(おお!これも音高、音大受験生ならばそうであって欲しいと願うだろうに・・・実際はなんと練習する時間の経つのが遅い事だろう!おお神よ!)、さらにひどいマニアック学習者などは一日があっという間に過ぎてしまうのだ!(おお!これも講師演奏をする予定のピアノ講師にとって頭の痛い所だろう。

何たって生徒には「夏休みなんだから一日中ピアノを弾きなさい!先生だって弾いてんのよ」と言いつつ、翌日から1週間バカンスに出かけるという怠け者行為をする講師は・・・この私だ!おお神よ!お許しを!)

一般に人間が何時間も集中して何かをするという行為はたとえばプレイステーションなどのようなファミコンならばあるかもしれないが、それ以外でここまで集中する事はピアノ以外にないかもしれない。

おそらく相当な好き者ならば腹が減っていても気がつかないほどだろう。

あるいは本来仕事や、約束事で,もうでかけなければいけないのにピアノの練習をしたいが為に、ぎりぎりまで練習をする、もしくは出かけるのが遅れてしまうということはこの世界の信者ではありきたりなはずだ。

そう、これはもはや宗教という枠を超えて完全に薬物中毒、ドラッグ常習者の範囲だろう。

ピアノなしでは生きていけない・・・

そう、ピアノは宗教であり、強力なドラッグなのだ。

いやはや、このメッセージは単品のみで書けるだろうと思ったのだが、どうも余りにもまだ書ききれない内容がありすぎてすべてが書ききれない。

そこには、あの大東亜戦争はいったい誰の責任だったのか?何が悪かったのか?・・・という社会的な面までピアノを通して見えてくるのである!

すなわち、旧日本海、空、陸軍が数々の撃沈、玉砕したことと、自分の演奏が数多く玉砕、撃沈した事とは密接なつながりがあるのだ。

・・・ということで今回は

シリーズ「ピアノとは宗教であり、ドラッグである」

第1幕終了。

2009.8.20


ピアノとは宗教であり,ドラッグである・・・2

ある程度ピアノをやってきた者ならばわかるとは思うのだが,ピアノには中毒性がある。

つまり,それにのめりこんでしまうという,中毒性だ。

これさえやっていれば,他の面倒くさい事を忘れられる、現実逃避ができる、一時でも楽しいひとときを味わえる。

私はマリファナやコカイン、覚せい剤というドラッグをやったことがないので(あたりまえか)わからないが、やっぱりドラッグをやっている連中はただ単に気持ちいいというだけでなく、現実逃避をやっているんだろうと思う。

誰だって現実から逃げたいと思った事や、現実を受け入れられないという時はあるだろう。

そういう時に、やっぱり現実からは逃げられないのだけれども,一時だけでも全部忘れたい、という時に(酒程度にしとけばいいのに)なにがしかの刺激物に手を出したくなるのだろう。

のりピーもピアノを習ってれば良かったのに・・・と思うほど、ピアノもドラッグとよく似ている。

学生などが勉強の合間にピアノを弾いて気分を入れ替えるということは良くある事であるが、一方で音大まで出た人間、もしくは音大レベルにまで肉薄してしまった学習者になってしまうとこれが酷くなる。

ピアノが弾けない人生なんて考えられない!という症状になってしまうのだ。

酷くなると禁断症状(机の上で指が動く)まで出る始末である。

そして,ピアノを弾いている間は就職がうまくいかない,仕事がうまくいかない、結婚できない、体重が減らない、しわが増えた・・・という悩みから解放されるのだ(ちょっとセクハラか・・・汗)。

そう,ピアノを弾いていると、本当はピアノなんて弾いている場合じゃない!という時でも現実を忘れられるのだ。

そう,何を隠そう,私も大学時代は朝から晩までピアノを弾いていたものだ。

弾いていると何となく気分が落ち着くし、辛い事も忘れるし、なんといっても楽しい。

世の中、若者が何か打ち込めるものが欲しい、一生懸命になれるものが欲しいということを聞く中で、ピアノという打ち込めるものを見つけたということは幸せに他ならないだろう。

しかし,そのピアノという魔力は大学卒業とともに,次第に不安材料にもなっていくのだった。

つまり・・・ピアノをずっと弾いていてもプロピアニストになっているわけではないので食っていけない・・・。

そう気が付き始めた時に、ピアノというドラッグの効き目か?それともピアノ教という宗教の魔力にやや陰りが見え始める。

俺はこのままピアノなんか弾き続けていても良いのだろうか?(いやいいんだよという悪魔の教祖のお告げも聞こえては来るのだが)

俺はもしかすると世の中を全く知らずにピアノだけを弾いている世間知らずの坊ちゃんなのかもしれない(それは、全くその通りだった)

俺はこのピアノ教から脱退しなければいけないのではないか?

そう,確かにピアノにのめり込みすぎる事は大変危険なのだ。

ピアノを引き続けるには常に自分が世間から隔離された世界に入らない様にしていないととても危険である。

すなわち、ピアノを学習するんだったら,きちんと会社に勤めながら,土日の余暇の時にポロンと弾いていればいいのだ。

ピアノを一日中弾きたいが為に会社を辞めるなんて事は・・・出家に相当する。

いま現在はたぶん(?)私は現世ともうまく渡りながらピアノ教を信仰しているとは思うが・・・。

さて、そのピアノ教には様々な宗派があるのをご存知だろうか?

大きく分けて3つ存在する。

ショパン宗派、ドイツ宗派、そしてフランス印象宗派だ。

ショパン宗派は実際は後にロシア宗派にもなった。つまりショパンから始まって最後にはロシアに受け継がれている宗派である。

ちなみに私はショパン(ロシア)宗派であるが(?)、実はショパン宗派とドイツ宗派は互いにいがみ合って一触即発、宗教戦争になりかねない関係である事をご存知であろうか?

次回はその辺りもかねて,ピアノ教の恐ろしい一面をお伝えしたいと思う。


ピアノとは宗教であり,ドラッグである・・・戦争篇

さて、ショパン派とドイツ派ですが、まあ決してこの二つの宗派がいがみ合っているというほどでもないとは思いますが、やはりこの二つの仲は決して仲は良くないと思います。

ドイツ派はやはりベートーベンやブラームス、バッハやワーグナーといった言わば”極太派”?といったところでしょうか?

どっしりとした音と構成感でぐいぐいと押していく感じがしますが、私からいわせてもらえばどうも押し付けがましい。

ただ、はたして本当に本場のドイツで極太でグイグイ押す連中ばっかりかは分かりません。

なんせこの間のNHKピアノ講座のアンドラーシュ、シフのベートーベンはまるでショパン派でしたし、おなじくジョアン、ピリスも同じでした。

正直いって日本でよく聞くベートーベンははたして本当なんだろうか?なんかとにかくガツンといわせりゃ(というか鍵盤を叩いているというか)良いという感じのベートーベンが多いのは気のせいか分かりませんが、とにかくドイツ派からはショパンは嫌われているようです。

何か内容がないとか薄いとか、女ったらしとか・・・。

一方でやはりショパン派はベートーベンのように何でもはっきりと表に出して言わないと気にくわないといった感じがどうも気に入らない。

とにかくベートーベンやバッハを弾くのは体力がいる。

もっともそんなこと言ったらショパン派の後のロシア派もかなり極太ではあるのですが・・・しかし極太であるロシア派には叙情性があります。

ベートーベンやバッハに叙情性はあるんかな?・・・というとドイツ派から文句を言われそうなので止めておきますが。

ところで宗教戦争というものはかなりややこしい内容と、民族感情が交じり合っているのでなかなか日本人には理解しにくい物があると思います。

中東戦争などは本当になんでここまで感情が逝っちゃうんだろ?と思わずにはいられないのですが、同じような事は過去の日本でもありましたね。

そこにはピアノ同様、何かにのめり込んでしまったが為に大勢が(しかも集団で)周りが見えなくなっているということがあります。

よく考えるんですが、あの戦争は何だったのか?

毎年お盆になるとテレビ放送では戦争特集をよく組む。

そういう中で私の様に戦争経験者でないものが戦争というテーマを考えるのはなかなか難しいものがありますが、しかしそれでもあえて言える事はあの戦争は何だったのか・・・という事です。

そもそも日常生活で人を殺すとか,他人に自分が殺されたとか、家族が殺されたとか・・・そういうことはあまりにもショッキングであり,通常は異常人格者による犯行でしかない。

しかしそれが日常的に何の罪もなしあたりまえに行われるのが戦争です。

しかも日本では特●隊というに自ら命を捧げるという行為まであったという事実。

私はこれは当時の日本国民がなにがしかの悪い宗教にみんなかかってしまったのではないかと思ってしまうのです。

もちろん,どの兵隊さんも国家のため、しいてはそれが国民、自分の家族を守るために出兵するという気持ちはわからなくもありません。

父親が家族を守る為に、もしくは息子が家族を守る為に・・・かつ家族だけではなくお隣さんを含めた国民を守る為に自ら出兵するという人徳は昔の日本人が持っていた人徳なんだと思います。今どきの若い男達が皆、安易に覚悟できることではない。

そういう意味で●国神社をないがしろにするということはやはり良くないとは思いますよ。

ただ・・・やっぱりあの当時誰もがこんな事おかしい,って思わなかった事が不思議ではあります。

いくら国からの締め付けがあったと言ってもあの当時国民みんなが一丸となって自らの意思で戦争に加担していた事は間違いないでしょう。

加えてもっとも責任があったのはやはり最高司令部でしょう。

どう考えても勝てっこない相手に戦争を仕掛けるのはどう考えてもおかしい。

しかしあの当時のいいわけは「やってみなければわからない」という考えだったらしいのだが、どうしてあれほどの人数がいた最高司令部が皆そう思ったのか?

特に特●隊という部隊を作って青年を使い捨ての様に扱っていた最高司令部はいったい何を考えていたのだろう?そしてそれを容認して送り出した国民は何だったのだろう。

やはり,ここには最高司令部と国民自体が,全員悪い宗教(というより思想)に洗脳されていたのではないかと思う。

自分たちが今どのような状況なのか?今の現状がどうなっているのか?

それを客観的に誰か判断する人が大勢いたらこうはならなかっただろう。

そうでなくても戦争は残酷である。

何たって戦争に正義も悪もない。

あるのはただ単に勝者=正義である。

だからいまだに広島長崎の責任はアメリカにはないし、ソ連による百万人とも言われている大量粛正はいまだにおとがめなしである。中国のチベット侵略もかつての満州事変同様、治安維持という名目上、正当化されている。

もしもドイツが勝っていたら・・・ユダヤ問題はどうなっていただろう・・・。

戦争に負ければ日本がどういうことになるかは頭のいい軍人達は中国のアヘン戦争でよく知っていたはずだ。

ここには戦争勝利国ば何をやっても許されるという国際的なブラック規則がある。

話がかなりずれたので元に戻そう。

集団で悪い宗教にかかる・・・これは日本の戦争だけでなく,ピアノ界でも起こる事なのだ。

ついこの間までテクニックにおいても間違いなく良くないテクニックがはびこっていたがそれをみんなが何の疑いもなく使い、そして自分の弟子に伝授していった。

まさしく集団感染のような宗教である。

加えて音楽性もどうだろうか?

今はまだこのHPには詳しく書かれていないがひょっとして日本の音楽性もかなり悪い宗教のようなものにかかってはいないだろうか?

加えて・・・これは自分にも当てはまるのだが・・・練習している時に冷静に自分の演奏を聴いていないと・・・実はとんでもなく下手な演奏や、ヤバい演奏をしている事に気がつかないのだ。

とにかくピアノの練習は客観性を失いやすい。

その為にピアノの先生に習いにいくのだが・・・いやはや,私のような習いに行かなくなってしまった先生はやばい。

ついこの間もまったくもって客観性に欠ける演奏をしてしまった。

まさに戦争末期の日本軍さながら,撃沈、玉砕演奏であった。

この二度と過去の不幸な過ちを繰り返さない為にも・・・。

さて,次回は宗教であり,ドラッグであるピアノのまとめと、あなたの宗教、ドラッグ度チェック!をいたします。

201