マジで凹むシリーズ

1(演奏収録)

収録というものはコンサートや発表会などの一度きりの演奏と違って永遠に残る。

所詮,一度きりの演奏なんて,聞いている連中は皆,細かい所までは覚えちゃいないのだ。

つまり,コンサートなどの場合はもっと、おおざっぱに全体像で演奏を聴いている場合が多い。そういう場合,あまりミスとか,失敗とかは目立たないものだ。

ミスや構成上の失敗があろうと,結局相対的になにかしら良い演奏をすれば「良い演奏だったな」という印象だけが残る。

そもそも2時間もの演奏会の間,観客は最初から最後まで集中して細部まで聞き通す事なんて無理なのだ。所詮、人間なんてその程度である。

逆につまらない、もしくはいい加減な演奏などしようものなら、たとえミスのない演奏をしても「つまらなかったなあ」という印象を与えてしまう。

そういう所,逆に人間とは恐ろしいもので、たとえ素人であってもつまらない演奏をすれば「良かったんだけど、なんかいまいちなのよねー」という感想を持たれてしまう。

たとえば我々素人がフランス料理を食べにいった時に,一応なりともきれいな盛りつけに豪華な5品の皿が出てきて,最後のデザートとコーヒーでばっちり締めても、「何かいまいちぱっとしない印象だったわねえ・・・」という料理に似ている。

そう,素人であっても、料理に詳しくなくて、なにがいけなかったとか、何が足りなかった・・・なんてわからなくても、最後の印象で、何となくばれてしまうのだ。そこがほんのちょっとフランス料理や,クラシック音楽をかじってきた人間の怖い所だ。

演奏はいい加減な事や,手を抜く事をやれば必ず聴衆に必ずばれる。これは鉄則だ。

しかし・・・収録となると,これが全く違ってくる。

もちろん,収録も良い演奏をしないとばれるのは同じだが、なんつったって聴衆は何度もCDやユーチューブを聞くので,本当に,曲の細部まで聞かされてしまう。

ここが不思議な所で,例えば私が気に入っているホロビッツの演奏などは一度目に聴いた時などは感動しか残らないが,2度3度聞いてくると・・・だんだんあらが見えてくる。

そして、数年後に久しぶりに聞いてみると,結構穴だらけの演奏だったなと気がつく事が良くある。

その時初めて気がつくのだ。

「なんだホロビッツって結構いい加減にピアノ弾いてたんだ」と。。。

しかし,そのいい加減な演奏であっても,ポイントの押さえどころは全くもってすばらしいに変わりはない。

7割の出来が悪くとも、残りの3割があまりにも素晴らしいと、もうそんな事どうでも良くなるのだ。

ホロビッツに限らず,手元にある気に入ったCDは何度も聞き直してみるとそういう事が良くある。

何なら試しに手元にある気に入ったCDをもう一度、聞いてみると良い。

しかし、それでも総論としてやはり・・・良い演奏なのだ。

しかし・・・自分が収録ともなると・・・そういう気にはならない。

音ミスはもちろん、音楽的な聞かせどころにおいて,すべてがうまくいっていないと、とにかく気に入らない。なんたってユーチューブとかは載せた後でその演奏を一番厳しく評論しているのは自分なのだから!

ここが収録の難しい所なのではないだろうか?

絵画とかは本当に自分が気に入って出展しているのかもしれないが,演奏はひょっとすると,コンサートよりもCDなどの収録の方が遥かにみんな神経質になっているのかもしれない。

そして,収録しながら・・・ひょっとしてマジでみんな凹んでいるのかもしれない(いや,それは私だけか・・・笑)

ただ、なんでもピアニストは自分のCDは聞きたくないという話を聞いたことがある。ひょっとしてそういう事なのだろうか?

まあどちらにして,頑張って収録しないと・・・


マジ凹シリーズ2(収録篇)

ピアノ演奏の収録で良く凹む事にテンポがある。

これは私の演奏の中で一番多い失敗だ。

つまり,私の場合,本番などの演奏で、どうしてもテンポが速くなってしまうのだ。

しかし,これが困った事に演奏中はそれほど速く弾いている感じがないのだ。

実は若い頃はむちゃくちゃ速く弾いていて,この頃は自分でもわかるぐらい、失敗したという感覚があったのだ。

いま現在はその頃に比べるとそれほど速く弾いてはいないものの、後でビデオをじっくり見ると,なぜか自分が思っていたよりも速く弾いていてがっかり・・・という事がかなりある。

それが迫力のある曲ならまだしも,ノクターンの様なゆったりした曲でこの失敗を犯す。

本番中はうまくいったかと思いきや・・・後で観てがっかり・・・というよりマジで凹む。

・・・まだ誰も認めてはいないかもしれないが・・・実は私の持ち味はこの叙情性豊かに弾く事が最大の武器であり,今後の宣伝文句にしたいのだが・・・それが”いまいち”ときたもんだ。

原因はおそらく本番中の心臓の心拍数にあるのではと思う。

誰だって本番は緊張する。しかし通常ならばそこをなんとか理性でテンポをコントロールするのだろうが、これが私が不得意である。

正直言ってこの点では私よりも他の生徒達の方が遥かに安定、かつ私より上である。

本番においてのうまさが私より生徒たちの方が安定してうまいとは・・・

・・・マジ凹む・・・

実は・・・私の教室の生徒たちは気がついているだろうが・・・実は私は普段から落ち着きがない。

その一例に・・・嘘だと思うなら私の教室に電話でかけてみると良い。

私が受話器を取ったなり「はい,村田ピアノ音楽院です」とハッキリ,聞こえた事などないはずである。

実は恐ろしいほど早口で「ハイムラタピアノオンガクインデス」と言ってしまうのだ。

これ,実は自分でも困ってしまうほど早口で言ってしまう。

必ず相手は「村田ピアノ音楽院・・・ですか???」と聞き直してしまうのだ。

まあ多分自分はせっかちなのだろう。普段の生活でも忙しいせいか?そういう面で演奏面にまでクセがでていると考えられるのだ。

それだけではない。本番などの演奏ビデオを見るとわかるのだが,自分は至って舞台のピアノにゆっくり座ってひと呼吸して・・・かなり時間をとって弾き始めたと思っていたにもかかわらず,ビデオでは全然時間を取っていないで弾き始めているではないか?

全くもってここから私の演奏は失敗している。

今では本当に演奏する時にはものすごくゆっくり弾く様に心がけているのだが・・・いやはや、それがうまくいかない。

ちなみにただ一人だけホールでの収録は誰もいないのでどうやらそれほど焦って弾いていない様なのだが・・・。

未だに本番でゆっくり弾けないというのは・・・

・・・マジ凹む・・・

次のマジ凹むシリーズは・・・

ハンガリー先生のマジ凹みレッスンの巻

私の凹みに乞うご期待!



マジ凹シリーズ3 レッスン編・・・

子供の生徒にとってピアノのレッスンは時として憂鬱なこともあるだろう。

嫌な宿題をやらされて、それをいやいや一週間練習してレッスンに持っていく。

おおかたここを読んでいる人達はピアノが好きな人達が多いと思うので,そういう事を聞くと「あらま!」と思う人達が多いであろう。

何たってピアノが好きな人から見たら,学校の宿題の様にいやいやピアノを練習などということは良く理解できないであろう。

ピアノの練習が好きな私から見ても全くもって理解できない・・・のはずなのだが・・・奇しくも最近この子供達がピアノの練習がつまらないという気持ちがよく分かるのだ(?)

以前どこかのメッセージ集で書いたが現在私は時々、恩師のハンガリー人のピアノの先生にレッスンに行っている。

レッスンの内容はいつも高い要求度が求められてなかなかきついものがあるが,まあそれでも自分が好きな曲を持っていくので、それは耐えられる範疇である。

しかし・・・前々から言われていたのだが,先生から「バッハの平均律曲集を持って来る様に」と言われていた。

バッハの平均律曲集はピアノ曲の旧約聖書とまで言われ,おおよそピアノ曲の基礎というか,凝縮されたものが入っている。

あれをほぼ勉強する事は確かにすべてのピアノ曲の構造というものがわかるというものだろう。

事実、ショパンはもっとも尊敬する作曲家はと聞かれると「バッハ」と答え,もっとも好きな曲集は?と聞かれると「平均律曲集」と答えたという。

さらにマジョルカ島へ旅行に行った時に唯一携えていた曲集がこの平均律曲集だったらしい。

それほどまでに平均律曲集は大事な曲なのだろうが・・・いやはや,実は私はこの曲集が嫌いである(汗)

この曲の重要性はよく分かる。確かにあらゆる構造パターンが入っており,確かに勉強になるだろうと思われる。

だがしかし・・・どうにも好きになれない。

ちなみに私は食べ物に関して好き嫌いが多少ある。

実はカキ(魚介類)とイカが嫌いである。

まあこの二つは食べられないのだが,一方実はあまり好きではないものがある。

豆腐である。

豆腐は身体にいいらしい。大豆から作られているということもあり,健康に良いのだろう。

私は納豆は好きな方であるが,同じ材料から作られた豆腐は全くおいしいと思えない。

さらに醤油をかけようが,あんかけをかけようが、片栗粉につけてフライパンで揚げようが、どうしてもうまく感じない。

どうも淡白な味が私の好みではないのだが・・・この豆腐、正直言ってバッハの平均律曲集に趣が似ている。

曲想が淡白で濃厚なものがなく、何となくイメージも白い(笑)

おまけに四角いイメージはそっくりである(汗)

とにかく平均律曲集・・・おいしくない(困)

しかし,次回のレッスンはこの平均律曲集が指定されているのだ!

こうなると本当に練習がおっくうである。

バッハを1回だけ(5分)弾いて・・・横にあるショパンの楽譜の作品を1時間弾いて・・・またバッハを1回だけ弾いて(5分)・・・横においてあるラフマニノフの楽譜の作品を1時間弾いて・・・またバッハ1回(5分)に今度はリストの曲を弾いて・・・。

子供がエリーゼとかトルコ行進曲とかを遊びでつまみ弾きをしていて,お母さんに叱られてしょうがないからバイエルを練習し始めた・・・といった感じなのだろうが、しかし,こんな事やっていたら曲が仕上がらない!

レッスンまでにはなんとかしてきちんと仕上げなければならない。

あーなんて憂鬱なんだ!・・・全くもってバッハのピアノ練習、マジ凹む。

ここ数十年生きてきてピアノの練習がこれほどまで憂鬱に思たことはない。

あたらめて子供の気持ちがわかったのだった。

ちなみに私がバッハ平均律曲集の次に嫌いな曲集は・・・同じく新約聖書とも言われているベートーベンソナタである。

ベートーベンソナタはいってみれば・・・ビーフステーキであろう。

スタミナたっぷりで(いや精神的にも肉体的にもスタミナがないと弾けない?)とにかく硬い!

おまけに分厚い(笑)

ちなみに私はもちろん,ビーフステーキは苦手である。

薄くスライスした牛肉ならまだしも,ビフテキはあまりおいしいと感じたことはない。

加えて近年多い肉食系女性もあまり好むところではない(笑)

私は出来ればこの曲集も避けたいところだが・・・例のハンガリー先生はベートーベン曲集の解説版まで出しているベートーベンソナタ好きである。

まさか・・・次回は・・・。

想像しただけでマジ凹む。


4.人間はこうやって人生を終わるのだろうか?

人間忙しいと本当に時間が経つのが早い。

ついこの間日曜日が来たと思ったのにもう今日は日曜日という感じである。

だいたいそういう時はその1週間がかなり忙しいパターンが多い。

いろいろと朝から仕事が多くてあれよという間に夜になって自宅に戻って・・・というパターンである。

しかし、そういう忙しい中でも、なんとか練習をこなしてはいるのだが・・・ではその1週間が実りの多い1週間だったのかといえば・・・実はそうでもなくて、いったい俺はこの1週間なにやっていたんだろうと思いながらの7日間であり・・・。

別に時間を浪費していたわけではないのだが、・・・いや練習は単なる効率の悪い時間の浪費だったかもしれない(汗)

練習などは効率よく進めば良い内容の成果が出るのだが、そうでない場合は・・・

いやはや、全くもってあの練習は何だったんだろう?ということになる。

まあそれだけではなく、もちろん仕事をやりつつ、練習をしているのでそれなりに時間が経つのが早いのだろうけど。

自分の年齢は現在45歳である。

これ,本当に認識するたびに唖然としてしまう。

今までなにやっていたのだろうか?

45年生きてきた割に成果なんてこの程度である。

特に25歳の時から20年間という長い歳月の間に成長した事なんて皆無に等しい。

そうでなくとも20年間という意識がないのだ。

実は20代は結構暇だったので時間が経つのが遅かったのだ。

それがどちらかというと教室を立ち上げて、仕事が忙しくなってから時間が経つのが早くなった気がする。

しかし、とにかく45歳という認識が未だに出来ないでいる。

自分の中では気分的に30歳ぐらいだろうか?

おそらく世の中自分の年齢が認識できない人はかなり多いのではないだろうか?

逆にいえばそれだけ気分が若いんだろうから良いのかもしれないが・・・

ついこの間、郷ひろみが(わかる人は結構歳逝ってますよね?あなた?)テレビでデビュー40周年だかなんだか言ってインタビューを受けていた。

年齢が・・・こりゃまたびっくりだったのだが55歳らしい。

顔は結構歳を食ったなあ・・・と思わせる感じだったが(それは私もえらい事言えない)声の張りや舞台の踊り、体系はありゃ昔の若い頃そのものだった。

ある意味、こいついつまでたってもガキだなあ・・・と思わせる感じだったが、ある意味これはすごい事なのかもしれない。

本人の中では55歳という認識・・・ありゃないな。

しかもなんでも再々婚の予定とか・・・おいおい・・・。

しかし本人が「私がデビュー当時は歌えなかったし、踊れなかったし、出来ない事だらけだったが、今なら少しはそれが出来る様な気がする。自分は大器晩成型なので」

と言っていた事には驚ろかさせられた。

あれだけの有名歌手が大器晩成って・・・。

でもそういう事は大事なんだろう。何でも47歳にして仕事を休んで数年、ニューヨークに留学して踊りと歌のレッスンを一通り受けてきたらしいのだが。、何歳になっても勉強は大事なんだろうと思う。

外から見ると既に完成されているようで己の中では全然悩んでいるばかりということは良くある。

郷ひろみの事はよく分からんが、ピアノ世界でもけっしてこれで完成とか、到達とか、そういうものはないだろう。

常に勉強は必要だし、怠けてはいけない。

逆に下手に歳を取りすぎると、音楽のあらが見えてくる。

以前はあの人うまいなあと思っていたピアニストのCDが今聞いてみると結構穴だらけじゃン!ということは良くある。

と同時に自分のあらも・・・よーく見えてきた(泣)

歳を取るってことはいろいろ知識が深まるだけあって残酷である(笑)

ただ一つだけ、注意して今後も進んでいこうと心がけていることがある。

何歳になっても勉強を怠らない為にも・・・もちろん勉強をするに必要な費用の為にも仕事は手を抜けないが・・・何歳でも仕事と勉強が続けられる為にも・・・とにかく身体だけは健康をキープする事だ。

何一つ不安要素や不健康な要素を持たずに健康に生活する事は大事な事だろう。

お金や名声はなくとも、少なくとも身体という資本があればまずピアノは80歳でも弾けるはずである。

今、45歳にして悟ってしまったことがある。

自分が年齢の割に下手だろうと弾けなかろうと・・・回りの事や年齢や立場、風格などは一切気にしないことだ。

同年代や後輩がうまかろうと、なんだろうと・・・回りは関係ないのである。

相対評価ではなく、あるのは自分に対しての絶対評価のみ。

回りを気にしていたらきりがない。第一そんなこと気にしたら明日からピアノは辞めるに限る(笑)

そんなことより自分の歳を棚に上げて己の道を邁進する事だ。

何をバカな若い事今さら言ってる?と思うかもしれないが・・・良かったら郷ひろみのオフィシャルサイトを検索して写真を見てみると良い。

郷ひろみオフィシャルサイト

なんかありゃ整形してんのかな?という感じもあるが・・・それ以上にありゃ気分も身体も相当若いなありゃ。あれでまだ頑張っているんだから少しは見習わなくてはならない。

いやしかし、私が55歳になった時には・・・もう少しいろいろと成果のある人生にしたいものである。

ほんと、このまま55歳だとマジ凹む。

こうやってこのまま人生終わってしまうのだろうか・・・

まったくもって自分が死ぬ時に「そういえばあの曲、半世紀間も練習したにもかかわらずやっぱり弾けなかったなあ」と思いながら死ぬのであろうか?

あーマジで凹む・・・。