コンクールと現代のピアニスト

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私は今まで数限りなくコンクールを受けてきました。

別に賞を取りたいのではなく、人前で緊張せずにピアノを弾けたらなあというきっかけではじめたのですが、そのうちに、ある事に気がつきました。

人前での演奏は必ずしも100%いつも満足の行く演奏ができるとは限らないのですが、良い演奏が出来ても、審査員から良い評論をいただけない事が多いのです。つまり、私の音楽感と、審査員の音楽感とはかなりの差があるという事です。

最初は、本選に進むために審査員の評論を非常に気にして、何が悪いのか、どこをどう直せば良いのかと考えてきましたが、それをする事は、自分に嘘をつく事になる事に気がつきました。審査員の言っている事は間違いではない。しかし私は私だと。

そもそもクラシック音楽は昔は、ジャズや民謡と同じく自由な発想を持った音楽だった筈ですが、1950年代を境にかなり大きく変わった事は間違いないようです。

専門的な事を言うと、ロマン主義から即物主義に変わったという事ですが、以前、ポリーニがテレビで述べていた事にショックを受けました。

ポリーニ:「演奏家は曲を忠実に再現する事だけにとどめるべきであって、演奏家自身の個人的な指向、音楽感、思想を表に出すべきではない。あくまで演奏家は楽曲の媒体でしかありえない」

たしかにある意味、これは大事な事でしょう。なんといっても1900年代前半には楽譜に書いてある事を勝手に編曲してしまったり、かなり楽譜と違う演奏をする演奏家が後を絶たなかったのですから。

しかし、その反面、ラフマニノフや、グ−ルド、コルト−やホロビッツの様な強烈な個性の持ち主の演奏家は今の時代には出にくい事も事実です。それと同時に上記の様な演奏家が持っていた音楽性が失われつつある様な気がします。なんというか、今の演奏家は、あまりにもおとなしくて、はみ出さなくて、地味で平坦で・・・。特に年寄りに反抗的であってほしい若手の演奏家にまで、この様なスタイルが蔓延しているような気もします。

第2に、演奏においてはわずかなミスも許されません。まず5回音を間違ったら本選には残れません。ですからたしかに本選に進出する演奏家はたしかにかなりノーミスの演奏がきける事は事実です。

しかしどんなに魅力的な演奏をしていてもミスがあれば本選には進めません。

これが最終的には、本選に残る演奏者は、どれもこれもよく弾けてはいるが、何となくありきたりで機械的な演奏ばかりという傾向になりがちです。

昔、コルト−というフランスの大演奏家がいましたが、これがまたかなりのミスタッチを含む演奏でしたが、そのミスを忘れさせる様な素晴らしい演奏を現代でもCDによって聞く事が出来ます。

また、ルービンシュタインという演奏家が昔いましたが、彼が若い頃は、演奏会の後には、ステージのあちらこちらに「ミスタッチ」というゴミが散乱していたという逸話があるほどのミスタッチが多い、しかし熱のこもった演奏を現在でもモノラル録音CDにより聞く事が出来ます。

この二人に共通している事は「人間的」な演奏であるという事です。

人間的な演奏というと近年ではフジ子ヘミングがいますが、彼女が言った言葉「ミスしたっていいじゃあない?人間なんだから」という言葉を思わず思い出してしまいます。